島津斉彬の存在意義(歴史的意義)

   斉彬が生きたのは「内憂外患」の時代。列強の商業利益拡大政策を背景とするアジア進出や、徳川政権の弱体化、さらに貨幣経済の浸透による身分序列の崩壊などの情勢は国内に危機感を募らせた。
 斉彬はもちろん、曾祖父重豪、祖父斉宣、父斉興、次期藩主忠義(後見久光)らは、こうした危機感を背景にそれぞれ独自の藩政を展開したが、一貫しているのは辺境薩摩の政治的地位の高揚を意図しているという点である。幕末はいわばチャンスであった。
 雄藩として経済的に優位にあった藩は、弱体化する幕府に再認識された朝廷の威信を融合させ(公武合体政策)幕政を握ろうと意図した。
 こうした情勢下にあって、一個人が歴史に与える影響(存在意義)は決して大きくはない。また、斉彬が幕政に、また藩政に、また西郷や大久保など一個人に与えた影響をそれぞれ分析し、体系的にまとめ上げるのは困難だ。しかし強いてこれを試みるとすれば、内憂外患に直面した責任者(為政者)の一人として、持論をまとめ上げ、その持論に基づく行動を起こした(集成館事業など)斉彬の姿勢は内憂外患の時代に一石を投じたといっていい。

 四賢侯と称され、その発言や行動を高く評価された斉彬の存在が、明治維新の原動力となった薩摩藩を作り上げたと言っても過言ではあるまい。

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